40代、50代の働く女性であれば、誰しも一度は「もう会社に行きたくない…」という朝を乗り越えてきたのではないでしょうか。キャリアにおけるさまざまな困難と向き合い、ときに乗り越えて「会社を辞める」という選択をせずに同じ会社で働き続けることを選んだ女性たち。どうやって「辞めたい」という思いを乗り越えたのでしょうか。乗り越えた先にあったものは何だったのでしょうか。

 今回、話を聞いた佐竹江里さん(仮名・40代)は、大学で研究していたバイオ分野の知見をビジネスの世界で生かしたいと味の素に入社。やりがいを持って取り組んでいた仕事を「夫の海外単身赴任を機に一度は辞めようと思った」と言います。すんでのところで思いとどまって、新型コロナウイルス禍直前に休職を選択。復職して再び仕事にまい進し、現在は部下を約30人抱えてチームをけん引しています。会社を辞めなかったからこそ、見えたものとは?

入社後は研究所や事業統括に従事

編集部(以下、略) 佐竹さんは新卒入社で味の素に入社して、勤続20年以上となりますね。研究職がキャリアのスタートですか?

佐竹江里さん(以下、佐竹) 修士卒で味の素に入社しました。最初の10年間は研究所でアミノ酸の製法開発に関する研究に従事しました。入社前から思い描いていた通り、学生時代に学んだ遺伝子工学や分子生物学の知識を生かせる研究でした。

―― 当時、まだ女性研究者は少なかったのでは。大変な面はありましたか?

佐竹 女性研究者は今ほど多くはありませんでしたが、「女性だから大変」と感じたことはなく、恵まれた環境でした。ただ、「発酵」が私の研究テーマだったので、発酵液や微生物の状態を定期的に観察・解析する必要があり、夜から翌朝まで勤務する「長時間勤務」があって、体力的には大変でした。もちろん、負担がかからないよう長時間勤務は週1回、月に何回までと決まっていましたし、配慮もしていただけました。

―― 夜勤があったんですね。大変でもやりがいがあるから乗り切れたと。

佐竹 そうですね。やりがいがないと、そんな大変な勤務は乗り切れませんでした。初めは自分が関わった研究テーマが工業化されることにワクワクしていましたが、だんだんチームメンバーなどと工業化までを成し遂げる喜びを感じるようになり、多くの人と仕事をすることに楽しさを覚えるようになりました。

 その後、それらの研究開発を統括する部署や、研究とは別の部署などに異動し、数年間は財務管理やR&D(研究開発)の統括などに関わっていました。研究に関連する仕事もありましたが、直接的な研究開発の現場からは離れることになりました。

―― 管理部門に移り、研究現場を離れるさびしさはありませんでしたか。

佐竹 正直なところ、研究職を離れるさびしさというよりは「私が役に立てることはあるんだろうか」という心配のほうが大きかったというか。とにかく会社に貢献できるようにと、目の前の仕事に取り組んできました。

―― 希望の会社に入社して、やりがいのある研究や研究に関する業務にも従事できていた。そんな佐竹さんでも「会社を辞めよう」と思ったそうですね。