パリを拠点に活躍するフラワーデザイナーで、フォトエッセイストの斎藤由美さん。2000年に渡仏し、世界的フラワーアーティスト、クリスチャン・トルチュの研修生となった後、新進フローリスト「ヴァルダ」に引き抜かれ、「ホテル・リッツ・パリ」の全館装飾を担当。現在はフランスのみならず、日本、韓国、中国などで、シックな趣の花々に枝物を取り合わせたパリスタイルの装花の魅力を伝えるレッスンにいそしむ一方、執筆活動も旺盛に行っています。そんな斎藤さんが、「キャリアを開く大きな転換点」と振り返るのが、「青天の霹靂(へきれき)だった」という離婚でした。

(上)まさかの離婚で一念発起し34歳でパリへ キャリア開いて24年 ←今回はココ
(下)長野から単身飛び込みパリで24年 なぜトップフローリストに?

18歳で結婚。34歳で別れを告げられ…

編集部(以下、略) 華麗なプロフィルから、挫折知らずの順風満帆な人生を勝手に想像していたのですが、34歳でパリに渡ろうと決意したきっかけは、当時の夫に唐突に別れを告げられたことだったとか?

斎藤由美さん(以下、斎藤) そうなんです。「好きな人ができた。その人と人生をやり直したいから別れてください」と。少し前から元夫の帰宅が遅くなり、休日の外出が増えるなど、「何か変だな」と思っていたら、女性と連れ立って歩いているところに偶然遭遇。観念した彼から、別れを切り出されました。当時は本当に苦しかったし悲しくて落ち込みましたが、別居を言い渡されてずっと憧れていたパリ行きを決行。1年で戻るはずが、気づけば24年たっていました。

―― 結婚したのは何歳の頃ですか?

斎藤 18歳です。短大1年のときに10歳年上の相手と学生結婚。花の道に進むきっかけをつくってくれたのは義母でした。

―― どんなきっかけですか?

斎藤 花嫁修業的なお稽古事を一通りするよう勧められ、結婚直後から華道を3年間学びました。その後、娘を育てながらフラワーアレンジメント教室に通って講師の資格を取得。27歳のとき、その頃に住んでいた長野県内のある町の公民館で教室を開くと、口コミで生徒が増え、70人ほどを受け持つようになりました。

34歳で渡仏し、現在もパリ在住の斎藤さん(58歳)。フォトエッセイストとして、『パリスタイルで愉しむ 花生活12か月』(日本文芸社)などの本も出版している
34歳で渡仏し、現在もパリ在住の斎藤さん(58歳)。フォトエッセイストとして、『パリスタイルで愉しむ 花生活12か月』(日本文芸社)などの本も出版している

「田園風」のブーケに魅了され、花の都パリに焦がれる

―― フラワー講師として順調なスタートを切ったのですね。クリスチャン・トルチュの存在は、講師としてのキャリアを重ねていく中で知ったのですか。

斎藤 ええ。トルチュは、従来ブーケや装花には使われてこなかった枝、実、雑草、果実などを花と組み合わせた、「田園風」を意味する「シャンペトル・スタイル」を提唱し、フランスのフラワー業界に革命を起こした巨匠。同スタイルをパリコレの舞台デザインなどに取り入れ、世界で大人気を博しました。私が長野で教えていた90年代当時、フラワーアレンジといえば、三角や四角などのフォルムを作るため、花を不自然に切り刻むことは当たり前。野の花をさっと束ねたように自然なのに、洗練されたトルチュのスタイルに衝撃を受け、授業にも率先して取り入れました。「いつか彼の手法を直接、学びたい。独身ならパリに飛んでいくのに」と、家事の合間などによく夢想したものです。

 書くことも撮ることも好きだったので、県内の情報誌でライター兼カメラマンとしても活動しました。家事と育児、2つの仕事と目の回るような忙しさでしたが、毎日が充実していました。

 そんなとき、元夫から別れたいと言われて……。思えばあの頃の私は、仕事の楽しさにかまけ、人生の伴侶に気持ちを寄せる努力が足りなかったのかもしれません。

 相手の女性の残像がまぶたから離れず、「彼女が選ばれ、私は捨てられるのか」と崖から突然突き落とされた気持ちに。やり直したくて大好きな仕事をセーブし、料理や掃除も頑張ったものの、元夫から「覆水盆に返らず」と言われました。

―― それからは?

斎藤 徐々に、「“夫に捨てられたかわいそうな人”に甘んじるわけにはいかない」と負けん気がわいてきました。