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工部省

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本の行政機関
工部省
Ministry of Public Works
工部省の標章(上)
工部省庁舎(下)
役職
工部卿 伊藤博文(初代)
組織
鉄道、造船、鉱山、製鉄、電信、灯台、製作、工学、勧工、土木、測量、測量 [1]
概要
設置根拠法令 明治3年閏10月10日太政官通達[2]
設置 1870年12月12日(新暦[2]
廃止 1885年12月22日[3]
前身 民部省から分割[2]
後身 鉄道局(内閣直轄)、逓信省農商務省
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工部省(こうぶしょう、: Ministry of Public Works)は、明治政府官庁の1つで、太政官制度の下で近代国家のための社会基盤整備と殖産興業を推進した中央官庁である。1870年民部省の業務を分割する形で創設[2]

1885年に廃止され、所管業務は逓信省農商務省に分割され[3]、現在の総務省経済産業省国土交通省に受け継がれている。

沿革

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鉄道技師長のエドモンド・モレルの提案を受けて、伊藤博文山尾庸三と協力し太政官に工部省の設置を働きかけ、明治3年閏10月20日1870年12月12日)、工部省の設置が決まった[2]

工部省
  掌褒勧百工及鉱山製鉄燈明台鉄道伝信機等

工部省ヲ置ク (明治3年閏10月20日)[2]

しかし、部局の組織化には10ヶ月を要し、明治4年8月14日になって鉄道造船鉱山製鉄電信灯台製作工学勧工土木の10寮と測量の1司が発足した[1]。工学寮と測量司を除くと、他のほとんどは民部省からの移管であった。モレルは公共事業を主管する部局を意図していたのに対して、太政官内では海外から産業技術を導入し殖産興業を推し進める部局として認識された[4]

1871年、伊藤が岩倉使節団の副使として外遊にでかけたため、工部少輔の山尾が初期工部省をまとめ、盛り上げていった。しかし、大久保利通が内務省を発足させると、地域開発に結びつく殖産興業はそちらに移管され、また国家財政の逼迫から官主導の殖産興業事業は民間へ払い下げられていった。

1880年代前半には、工部卿佐々木高行の下で、鉄道・電信などを除き官営工場の民間への払下げが進められた(官営事業払下げ)。1883年9月22日、工作局・鉱山局を廃止し、その事務を省の直轄とする。品川工作分局は品川硝子製造所、兵庫・長崎工作分局はそれぞれ兵庫・長崎造船局、各地鉱山分局はそれぞれ佐渡・生野・三池・阿仁・院内鉱山局と改称した。

後継

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明治18年(1885年12月22日内閣制度とともに工部省は廃止されて、逓信省農商務省に分割・統合された[3]。なお、鉄道事業は内閣直属になり(鉄道局及び鉄道省を参照)、電信・灯台などの事業は逓信省に引き継がれ、郵便と一体化された[3]

今般逓信省を置き駅逓電信灯台管船の事務を管理せしむ
工部省を廃し鉱山工作の事務は農商務省に電信灯台の事務は逓信省に工部大学校は文部省に属せしめ鉄道事務は当分の内内閣の直轄に属せしむ

太政官達第七十号 工部省を廃し逓信省を置き工部大学校を文部省に鉱山及工作事務を農商務省に属す(明治18年12月22日)[3]

教育機関

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工部省は工学寮という技術者養成機関を持ち、工学校を運営した。1873年7月、当初は予備教育のための小学校も予定されていたが、工学校都険(実質的校長)に就任したヘンリー・ダイアーは6年制の大学校のみとする学則を定めた。明治9(1876)年には工部美術大学校を併設した。明治10年(1877年)に工学寮が廃止され、工学校大学校本館が完成するとと、正式に工部大学校と呼ばれた。

1885年に工部省の廃止が決まり、工部大学校は文部省に移管され[3]、翌明治19年(1886年)の帝国大学令により帝国大学工科大学になった。これは現在の東京大学工学部にあたる。

工部卿など

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工部卿
氏名 在職期間 略歴
空席  ー
伊藤博文 1873年 - 1878年 内閣総理大臣枢密院議長
井上馨 1878年 - 1879年 外務大臣大蔵大臣
山田顕義 1879年 - 1880年 司法大臣
山尾庸三 1880年 - 1881年
佐々木高行 1881年 - 1885年
工部大輔
後藤象二郎 1871年 大阪府知事
伊藤博文 1871年 - 1873年
山尾庸三 1872年 - 1880年
吉井友実 1880年 - 1882年 元老院議官
井上勝 1882年 - 1886年

出典

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  1. ^ a b 太政官『工部省中諸寮司ヲ置ク』国立公文書館デジタルアーカイブ、1871年8月14日。太00240100https://www.digital.archives.go.jp/item/1387191 
  2. ^ a b c d e f 太政官『工部省ヲ置ク』国立公文書館デジタルアーカイブ、明治3年10月20日。太00019100https://www.digital.archives.go.jp/item/1338694 
  3. ^ a b c d e f 内閣『太政官達第七十号』国立公文書館デジタルアーカイブ、1885年12月22日。類00227100https://www.digital.archives.go.jp/item/2457179 
  4. ^ 泉田英雄:工部省創設再考、日本建築学会計画系論文集Vol.80-No.708、2015年3月、411~417頁.

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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