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{{Otheruseslist|宗教'''施設'''・建築物としての教会|キリスト教の宗教'''組織'''・信仰共同体としての教会|教会 (キリスト教)|キリスト教以外の宗教も含む一般用語としての教会|教会}} |
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[[Image:Roma-san bartolomeo all'isola.jpg|thumb|right|200px|[[ローマ]]にある教会堂]] |
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[[Image:Greek Church.jpg|thumb|right|200px|[[サントリーニ島]]にある[[ギリシャ正教会]]の聖堂と鐘。]] |
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[[Image:Turku cathedral 26-Dec-2004.jpg|thumb|right|200px|フィンランド、[[トゥルク]]にある教会堂]] |
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[[画像:ソフィスカヤ寺院・聖索菲亜教堂.jpg|thumbnail|200px|教会堂の例:[[ハルビン]]の[[聖ソフィア大聖堂 (ハルビン)|聖ソフィア大聖堂]]([[ビザンティン建築]]・[[ロシア建築]])。[[ロシア正教会]]のものとして建設されたが現在は博物館。]] |
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'''教会堂'''(きょうかいどう)とは、[[キリスト教]]などの[[教会]]の[[建築物]]である。単に'''[[教会]]'''とも言うが、教会と言った場合には、教会堂と、そこに関わる共通の信仰を持つ人々の総体を表す。 |
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'''教会堂'''(きょうかいどう)は、[[キリスト教]]などの[[教会]]の[[建築物]]である。単に「教会」とも言うが、「教会」と言う場合は、教会堂と、そこに関わる共通の信仰を持つ人々の総体を表す(反対に教会として使われなくなった教会堂もある。)。キリスト教の場合、日本の聖職者や信者の間では教会堂ではなく'''[[聖堂]]'''(せいどう)と呼ぶことが多い。 |
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キリスト教の場合、概して[[カトリック]]や[[正教会]]、[[聖公会]]では教会堂とはいわず[[聖堂]]と呼ぶ。聖堂を荘厳し、宗教感覚に訴えたり、[[イコン]]や[[ステンドグラス]]、[[壁画]]で信仰をわかりやすく説いたものが多い。[[プロテスタント]]系の教会では、説教や集会のためという実用本位な教会が多く、装飾は控えられ、十字架も置かない場合がある。 |
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== 概要 == |
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[[信仰]]の場であり、信者や聖職者が集い、長時間その内部に身を置き、信仰をはぐくむ空間であるので、建物の<u>内部空間</u>の設計や様式が重視されている。{{Efn|信仰が無い人、特に信仰の無い日本人が教会堂について記事を書くと、妙に、外観にだけ気をとられ外観のことだけに言及し、肝心の建物内部のことに全く言及しないという、非常におかしな傾向があるが、キリスト教の本場であるヨーロッパでは(西ヨーロッパでも、東ヨーロッパでも)、歴史的に教会堂の設計者たちが設計時に主に考えてきたことは、キリスト教の信仰のためには建物の内部空間をどうするのが良いか、ということであり、教会堂の設計の力点はその内部空間に置かれている。}} |
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教派により様式が異なる。[[正教会]]、また[[カトリック教会]]や[[聖公会]]の場合は、教会堂(聖堂)の内部を装飾も用いて荘厳にしていることが多く、さらに[[ローマ帝国#帝国の分裂|ローマ帝国が395年に東西に分裂したこと]]や[[東西教会の分裂]]の影響が教会堂の様式にも大きな影響を及ぼしており、正教会(東方教会)と西方教会(カトリック教会など)で様式が大きく異なっている。また正教会とカトリック教会や聖公会とプロテスタントの教会堂を比較した場合も大きく異なっており、正教会なら[[イコン]]が置かれ、カトリック教会や聖公会なら[[ステンドグラス]]や[[壁画]]を用いて視覚的に分かりやすく信仰を説いたものが多いという点では共通なのだが、それに対し[[プロテスタント]]の教会では、あくまで集会や説教のための場とした実用本位な教会が多く、装飾は控えられ比較的スッキリとした様式で、簡素な十字架くらいは設置してあることは多いが、なかには[[十字架]]も置かない場合もあるというのが特徴だと云える。 |
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{{see also|聖堂|礼拝堂}} |
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以下、特徴ある各時代の教会堂の様式を述べる。 |
以下、特徴ある各時代の教会堂の様式を述べる。 |
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== 初期キリスト教建築の教会堂 == |
== 初期キリスト教建築の教会堂 == |
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古くは[[古代ローマ]]の集会場である[[バシリカ]]を継承した長方形で、これを'''バシリカ式教会堂'''と呼ぶ。身廊の両側に、列柱で隔てられた側廊、正面奥に半円形平面のアプシスを持つ平面構成。屋根は木造小屋組。身廊の天井は一段高く、側壁に[[クリアストーリ]]と呼ばれる高窓を持つ。後に交差廊を加え、[[ラテン十字]]形を基本とする形式をとるようになった。 |
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一方、古代には円形・正多角形を基本とする教会堂(集中堂式教会堂)も作られ、教会堂のほか、[[洗礼堂]]、[[墓廟]]としても用いられた。こちらは[[ローマ帝国]]分裂後、東ローマに伝わり、[[ビザンティン建築]]の起源となったと考えられている。時代が下るにつれ、堂内に小礼拝堂などを併設するようになる。 |
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古くは[[古代ローマ]]の集会場である[[バシリカ]]を継承した長方形で、これを'''バシリカ式教会堂'''と呼ぶ。身廊の両側に、列柱で隔てられた側廊、正面奥に半円形平面のアプシスを持つ平面構成。屋根は木造小屋組。身廊の天井は一段高く、側壁にクリアストーリと呼ばれる高窓を持つ。後に交差廊を加え、[[ラテン十字]]形を基本とする形式をとるようになった。 |
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一方、古代には円形・正多角形を基本とする教会堂('''集中堂式教会堂''')も作られ、教会堂のほか、[[洗礼堂]]、[[墓廟]]としても用いられた。こちらは[[ローマ帝国]]分裂後、東ローマに伝わり、[[ビザンティン建築]]の起源となったと考えられている。時代が下るにつれ、堂内に小礼拝堂などを併設するようになる。 |
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== ビザンティン建築の教会堂 == |
== ビザンティン建築の教会堂 == |
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[[File:2017 0423 Ravenna (132).jpg|thumb|200px|[[サン・ヴィターレ聖堂]]の内部]] |
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{{Main|ビザンティン建築|東欧諸国のビザンティン建築}} |
{{Main|ビザンティン建築|東欧諸国のビザンティン建築}} |
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[[ビザンティン建築|ビザンティン]]様式の聖堂(教会堂)は、[[ドーム]]を中心とする垂直軸を重視した空間構成、[[ギリシャ十字]]形(集中式)の平面を取り、ドームには[[モザイク]]で[[キリスト]]像が描かれる場合が多い。[[東ローマ帝国]](ビザンチン帝国)を通じ、[[正教会]]の聖堂建築様式として[[東ヨーロッパ]]の[[スラヴ]]文化圏に広まった。 |
[[ビザンティン建築|ビザンティン]]様式の聖堂(教会堂)は、[[ドーム]]を中心とする垂直軸を重視した空間構成、[[ギリシャ十字]]形(集中式)の平面を取り、ドームには[[モザイク]]で[[キリスト]]像が描かれる場合が多い。[[東ローマ帝国]](ビザンチン帝国)を通じ、[[正教会]]の聖堂建築様式として[[東ヨーロッパ]]の[[スラヴ]]文化圏に広まった。 |
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== |
== 正教会(東方教会) == |
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<!--ウクライナのほうが南に位置し、地理的に総本山のギリシアに近く、源流に近いので上に配置すべき。 |
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キリスト教信仰も南から北へと伝わっていったので、その順に説明すべき。 |
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ウクライナのほうがむしろ源流である。 |
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=== ウクライナ建築の教会堂 === |
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[[ウクライナ正教会]]の建築物は、ビザンティン建築をベースにしている。ドーム屋根形状に複数の縦[[稜線]]エッジが入っているのが主な特徴であり、時代によって様々に異なる様式を発展させていった。 |
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=== ロシア建築の教会堂 === |
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{{Main|ロシア建築}} |
{{Main|ロシア建築}} |
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[[ロシア建築]]における聖堂(教会堂)は、ビザンティン建築をベースにしつつも、ロシア独自の様式や西欧からの影響が盛り込まれ、時代によって様々に異なる様式を発展させていった。 |
[[ロシア建築]]における聖堂(教会堂)は、ビザンティン建築をベースにしつつも、ロシア独自の様式や西欧からの影響が盛り込まれ、時代によって様々に異なる様式を発展させていった。 |
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{{Gallery |
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== ロマネスク建築の教会堂 == |
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|Image:Greek Church.jpg|[[サントリーニ島]]にある[[ギリシャ正教会]]の聖堂と鐘。 |
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|File:80-391-9007 Kyiv DSC 5895.jpg|[[ウクライナ]]の首都、[[キーウ]]にある[[ウクライナ正教会]]の[[聖ムィハイール大聖堂]]。金色のドーム形状全体に複数の縦稜線エッジが見てとれる。 |
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|画像:ソフィスカヤ寺院・聖索菲亜教堂.jpg|[[ロシア建築]]で[[ビザンティン建築]]の教会堂の例。[[ハルビン]]の[[聖ソフィア大聖堂 (ハルビン)|聖ソフィア大聖堂]]。[[ロシア正教会]]のものとして建設されたが現在は博物館。 |
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|File:Inside the Orthodox Church in Zagreb.jpg|[[ザグレブ]]の正教会の教会堂の内部空間。 |
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|File:Inside Greek Orthodox Church of St. Nicolas, Marrickville NSW - panoramio.jpg|オーストラリア、[[マリックビル]]のギリシャ正教会の教会堂の内部空間。 |
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== 西方教会 == |
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=== ロマネスク建築の教会堂 === |
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[[ロマネスク建築|ロマネスク]]様式の教会堂は、11世紀以降に造られた。バシリカ形式の平面で、後には[[ヴォールト]]架構を導入した。ヴォールトによる側壁の面外方向への加重を、壁を分厚くすることによって受ける。地域、[[教派]]による多様性があり、様式としての統一性は薄い。 |
[[ロマネスク建築|ロマネスク]]様式の教会堂は、11世紀以降に造られた。バシリカ形式の平面で、後には[[ヴォールト]]架構を導入した。ヴォールトによる側壁の面外方向への加重を、壁を分厚くすることによって受ける。地域、[[教派]]による多様性があり、様式としての統一性は薄い。 |
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== ゴシック建築の教会堂 == |
=== ゴシック建築の教会堂 === |
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[[画像:Chartres.jpg|thumbnail|200px|right|[[シャルトル大聖堂]] (フランス)]] |
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[[ゴシック建築|ゴシック]]様式の教会堂は北フランスに生まれ、[[12世紀]]後半ごろからヨーロッパ全土へ広がる。[[ヴォールト#リブ・ヴォールト|リブ・ヴォールト]]、[[尖頭アーチ]]、飛梁([[フライング・バットレス]])の働きによって、ロマネスク建築の分厚い壁面とは対照的に、壁をできる限り少なくし、[[ステンドグラス]]に彩られた光あふれる空間を実現した。ゴシック建築の教会堂は、ステンドグラス・高い天井など最も教会堂らしい形をしていると言える。 |
[[ゴシック建築|ゴシック]]様式の教会堂は北フランスに生まれ、[[12世紀]]後半ごろからヨーロッパ全土へ広がる。[[ヴォールト#リブ・ヴォールト|リブ・ヴォールト]]、[[尖頭アーチ]]、飛梁([[フライング・バットレス]])の働きによって、ロマネスク建築の分厚い壁面とは対照的に、壁をできる限り少なくし、[[ステンドグラス]]に彩られた光あふれる空間を実現した。ゴシック建築の教会堂は、ステンドグラス・高い天井など最も教会堂らしい形をしていると言える。 |
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{{Gallery |
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== ルネサンス建築の教会堂 == |
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|File:West facade of Notre-Dame de Chartres.jpg|[[シャルトル大聖堂]] (フランス)の外観。シャルトル大聖堂の場合は尖塔がある。シャルトル大聖堂の建造は長年に渡り、左側と右側が建造された年代も大きく異なるので、左右で様式が異なっており、珍しく左右非対称になっている。 |
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|ファイル:Cathedrale nd chartres vitraux015.jpg|ゴシック建築の教会堂の特徴のひとつである[[ステンドグラス]]。その中でも特に大きくて繊細で美しいことで有名な、[[シャルトル大聖堂]]の北ファサードに配置されている、[[聖母マリア]]の生涯を描いたバラ窓。 |
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|File:Notre-Dame de Paris 2013-07-24.jpg|フランス、[[パリ]]にある[[ノートルダム大聖堂 (パリ)|ノートルダム大聖堂]]の外観 |
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|File:Notre Dame buttress.jpg|パリのノートルダム大聖堂の、[[力学]]的な必要性から、外壁が外に向かって崩壊しないように外側から支えるバットレス(一種の「つっかえ棒」のようなもの) |
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|ファイル:NotreDameDeParisNefDepuisChoeur.JPG|ノートルダム大聖堂の内部空間。天井はアーチ構造で組まれている。正面入り口から入ると通路の突き当り、やや高くなった位置に、[[ミサ]]を行うための[[祭壇]]がある(この写真は祭壇側から撮影したもの)。 |
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=== ルネサンス建築の教会堂 === |
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[[ルネサンス建築|ルネサンス]]様式の教会堂は、15世紀にイタリアで始まる。ローマの建築様式を復興し、古典的で調和の取れた明快な様式である。 |
[[ルネサンス建築|ルネサンス]]様式の教会堂は、15世紀にイタリアで始まる。ローマの建築様式を復興し、古典的で調和の取れた明快な様式である。 |
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== バロック建築の教会堂 == |
=== バロック建築の教会堂 === |
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[[バロック建築|バロック]]様式の教会堂は、ローマ、スペインなどで多く造られ、カトリックの[[対抗改革]]を背景に、動的、劇的な空間構成が取られる。 |
[[バロック建築|バロック]]様式の教会堂は、ローマ、スペインなどで多く造られ、カトリックの[[対抗改革]]を背景に、動的、劇的な空間構成が取られる。 |
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== 古典主義・新古典主義・歴史主義の教会堂 == |
== 古典主義・新古典主義・歴史主義の教会堂 == |
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{{節 |
{{節スタブ}} |
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== モダニズム建築以降の教会堂 == |
== モダニズム建築以降の教会堂 == |
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== ギャラリー == |
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File:Roma-san bartolomeo all'isola.jpg|[[ローマ]]にある教会堂 |
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File:Turku cathedral 26-Dec-2004.jpg|フィンランド、[[トゥルク]]にある教会堂 |
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</gallery> |
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== 日本の教会堂 == |
== 日本の教会堂 == |
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[[File:Nagasaki Oura C1378.jpg|thumb|right|160px|[[大浦天主堂]](長崎市)]] |
[[File:Nagasaki Oura C1378.jpg|thumb|right|160px|現存する日本の最古の教会堂である[[大浦天主堂]](長崎市)]] |
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[[日本のキリスト教史|キリスト教伝来]]([[1549年]])から徳川幕府によるキリスト教禁教までの期間、日本各地に建てられた教会堂は、この当時の建物は現存しておらず、資料や出土遺物で確認できるのみである。その時代の「教会堂」は現代イメージされる西洋建築風でなく、建物内部の床は当時の日本人にとって居心地が良いように配慮して[[畳]]敷きで、[[仏教寺院]]風の外観で、屋根の頂上に[[十字架]]を据え付けたようなものであった。(信者以外からは、勝手な通称で)「[[南蛮寺]]」などと呼ばれた。 |
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長崎の教会群など、木造の素朴なものから、煉瓦積みのものなど、それぞれに信仰の形を映し出している。カトリックの教会は'''天主堂'''とも呼ばれる。 |
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本格的な西洋風教会は[[幕末]]ころから建築されるようになった。[[明治時代|明治]]以降の[[文明開化]]にともない、西洋建築の技術が国内に入り、本格的な西洋風教会を造る機が熟してきた。古い時代の[[カトリック教会|カトリック]]の教会堂は「天主([[デウス]])」にならい、「'''天主堂'''」とも呼ばれていた。[[長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産|長崎の教会群]]など、木造の素朴なものから、煉瓦積みのものなど、それぞれに信仰の形を映し出している。外国から来た[[宣教師]]が設計したもの、日本人が設計したものなど色々あるが、特に[[戦国時代 (日本)|戦国期]]からの[[キリシタン]]伝統の残る、[[長崎市|長崎]]を中心とした[[九州]]に数十件にのぼる天主堂建築を建てた[[鉄川与助]]の功績は大きい<ref>[[雜賀雄二]]『天主堂物語』新潮社、雜賀雄二『天主堂 光の建築』淡交社</ref>。 |
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伝統的な様式を採用せずに、通常の建築物の手法で建築する、[[居抜き出店]]の形で利用する、[[テナント]]として入居する場合も有る。 |
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== 脚注 == |
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<references group="注釈"/> |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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*[[:Category:教会堂の画像|教会堂の画像一覧]] |
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*[[:Category:教会堂|教会堂の一覧]] |
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*[[大聖堂の一覧]] |
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*[[大聖堂]] |
*[[大聖堂]] |
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*[[大聖堂の一覧]] |
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*[[西ヨーロッパの大聖堂建築]] |
*[[西ヨーロッパの大聖堂建築]] |
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*[[教会堂建築の変遷]] ([[:en:Church architecture|Church architecture]]) |
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*[[ローマ建築]] |
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*[[聖堂]] |
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*[[バシリカ]] |
*[[バシリカ]] |
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*[[礼拝堂]] |
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*[[チャペル]] |
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*[[寺院]] |
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*[[ドゥオーモ]] |
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2023年7月27日 (木) 04:13時点における最新版
教会堂(きょうかいどう)は、キリスト教などの教会の建築物である。単に「教会」とも言うが、「教会」と言う場合は、教会堂と、そこに関わる共通の信仰を持つ人々の総体を表す(反対に教会として使われなくなった教会堂もある。)。キリスト教の場合、日本の聖職者や信者の間では教会堂ではなく聖堂(せいどう)と呼ぶことが多い。
概要
[編集]信仰の場であり、信者や聖職者が集い、長時間その内部に身を置き、信仰をはぐくむ空間であるので、建物の内部空間の設計や様式が重視されている。[注釈 1]
教派により様式が異なる。正教会、またカトリック教会や聖公会の場合は、教会堂(聖堂)の内部を装飾も用いて荘厳にしていることが多く、さらにローマ帝国が395年に東西に分裂したことや東西教会の分裂の影響が教会堂の様式にも大きな影響を及ぼしており、正教会(東方教会)と西方教会(カトリック教会など)で様式が大きく異なっている。また正教会とカトリック教会や聖公会とプロテスタントの教会堂を比較した場合も大きく異なっており、正教会ならイコンが置かれ、カトリック教会や聖公会ならステンドグラスや壁画を用いて視覚的に分かりやすく信仰を説いたものが多いという点では共通なのだが、それに対しプロテスタントの教会では、あくまで集会や説教のための場とした実用本位な教会が多く、装飾は控えられ比較的スッキリとした様式で、簡素な十字架くらいは設置してあることは多いが、なかには十字架も置かない場合もあるというのが特徴だと云える。
以下、特徴ある各時代の教会堂の様式を述べる。
初期キリスト教建築の教会堂
[編集]古くは古代ローマの集会場であるバシリカを継承した長方形で、これをバシリカ式教会堂と呼ぶ。身廊の両側に、列柱で隔てられた側廊、正面奥に半円形平面のアプシスを持つ平面構成。屋根は木造小屋組。身廊の天井は一段高く、側壁にクリアストーリと呼ばれる高窓を持つ。後に交差廊を加え、ラテン十字形を基本とする形式をとるようになった。
一方、古代には円形・正多角形を基本とする教会堂(集中堂式教会堂)も作られ、教会堂のほか、洗礼堂、墓廟としても用いられた。こちらはローマ帝国分裂後、東ローマに伝わり、ビザンティン建築の起源となったと考えられている。時代が下るにつれ、堂内に小礼拝堂などを併設するようになる。
ビザンティン建築の教会堂
[編集]ビザンティン様式の聖堂(教会堂)は、ドームを中心とする垂直軸を重視した空間構成、ギリシャ十字形(集中式)の平面を取り、ドームにはモザイクでキリスト像が描かれる場合が多い。東ローマ帝国(ビザンチン帝国)を通じ、正教会の聖堂建築様式として東ヨーロッパのスラヴ文化圏に広まった。
正教会(東方教会)
[編集]ウクライナ建築の教会堂
[編集]ウクライナ正教会の建築物は、ビザンティン建築をベースにしている。ドーム屋根形状に複数の縦稜線エッジが入っているのが主な特徴であり、時代によって様々に異なる様式を発展させていった。
ロシア建築の教会堂
[編集]ロシア建築における聖堂(教会堂)は、ビザンティン建築をベースにしつつも、ロシア独自の様式や西欧からの影響が盛り込まれ、時代によって様々に異なる様式を発展させていった。
西方教会
[編集]ロマネスク建築の教会堂
[編集]ロマネスク様式の教会堂は、11世紀以降に造られた。バシリカ形式の平面で、後にはヴォールト架構を導入した。ヴォールトによる側壁の面外方向への加重を、壁を分厚くすることによって受ける。地域、教派による多様性があり、様式としての統一性は薄い。
ゴシック建築の教会堂
[編集]ゴシック様式の教会堂は北フランスに生まれ、12世紀後半ごろからヨーロッパ全土へ広がる。リブ・ヴォールト、尖頭アーチ、飛梁(フライング・バットレス)の働きによって、ロマネスク建築の分厚い壁面とは対照的に、壁をできる限り少なくし、ステンドグラスに彩られた光あふれる空間を実現した。ゴシック建築の教会堂は、ステンドグラス・高い天井など最も教会堂らしい形をしていると言える。
ルネサンス建築の教会堂
[編集]ルネサンス様式の教会堂は、15世紀にイタリアで始まる。ローマの建築様式を復興し、古典的で調和の取れた明快な様式である。
バロック建築の教会堂
[編集]バロック様式の教会堂は、ローマ、スペインなどで多く造られ、カトリックの対抗改革を背景に、動的、劇的な空間構成が取られる。
古典主義・新古典主義・歴史主義の教会堂
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
モダニズム建築以降の教会堂
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
ギャラリー
[編集]日本の教会堂
[編集]キリスト教伝来(1549年)から徳川幕府によるキリスト教禁教までの期間、日本各地に建てられた教会堂は、この当時の建物は現存しておらず、資料や出土遺物で確認できるのみである。その時代の「教会堂」は現代イメージされる西洋建築風でなく、建物内部の床は当時の日本人にとって居心地が良いように配慮して畳敷きで、仏教寺院風の外観で、屋根の頂上に十字架を据え付けたようなものであった。(信者以外からは、勝手な通称で)「南蛮寺」などと呼ばれた。
本格的な西洋風教会は幕末ころから建築されるようになった。明治以降の文明開化にともない、西洋建築の技術が国内に入り、本格的な西洋風教会を造る機が熟してきた。古い時代のカトリックの教会堂は「天主(デウス)」にならい、「天主堂」とも呼ばれていた。長崎の教会群など、木造の素朴なものから、煉瓦積みのものなど、それぞれに信仰の形を映し出している。外国から来た宣教師が設計したもの、日本人が設計したものなど色々あるが、特に戦国期からのキリシタン伝統の残る、長崎を中心とした九州に数十件にのぼる天主堂建築を建てた鉄川与助の功績は大きい[1]。
伝統的な様式を採用せずに、通常の建築物の手法で建築する、居抜き出店の形で利用する、テナントとして入居する場合も有る。
脚注
[編集]- ^ 信仰が無い人、特に信仰の無い日本人が教会堂について記事を書くと、妙に、外観にだけ気をとられ外観のことだけに言及し、肝心の建物内部のことに全く言及しないという、非常におかしな傾向があるが、キリスト教の本場であるヨーロッパでは(西ヨーロッパでも、東ヨーロッパでも)、歴史的に教会堂の設計者たちが設計時に主に考えてきたことは、キリスト教の信仰のためには建物の内部空間をどうするのが良いか、ということであり、教会堂の設計の力点はその内部空間に置かれている。